街場のアメリカ論

”街場のアメリカ論”内田樹さんの”街場”シリーズの一冊である。傑作である。
非常に濃い内容である。まえがきさえも、一種の日本国論となっている。すべての日本人に一読をお勧めする。(ちょっと言い過ぎか・・・)

街場のアメリカ論 (文春文庫)

街場のアメリカ論 (文春文庫)

一番気に入ったのは、”上が変でも大丈夫”の章だ。
アメリカという国の統治しシステムの考え方だ。アメリカとは、国ができた時点で既に”理想国家”であった。このため、”理想国家”を目指すのではなく、”理想”を維持するためにはどうしたらいいか、をベースとして統治システムをつくった。このため、統治者は間違いを犯す、もっと簡単にいうと、間違った人を選んでも”理想国家”が維持できるような統治システムをつくったということだ。ふーーむ。そうだよね。映画スターだって、人気があれば大統領になれてしまうんだもの。
それと、アメリカという国は、最初から”アメリカ”であった、という論は、理解を助けてくれる。

”福音の呪い”の章も、アメリカとは宗教国家だったんだ、というのをよく理解させてくれる。この著書の原点は、著書のなかでも紹介されているが、トクヴィルの”アメリカにおけるデモクラシーについて”である。その中で、トクヴィルは、アメリカの政治家の中に、他国とは違い聖職者がいないことに気付いた。アメリカの政治のシステムは、長期政権を許さないことにある。汚職が蔓延するからだ。このため、政治的なポジションにいる人は、数年でどんどん変わっていく。このため、”権力と結びついて恩恵を受け続ける”とうことができないので、政治とは一線を介した。ただこれが逆に、”霊的威信の保証人の座を永続的に確保した”のだ。
リンカーンの有名な言葉である、”人民による、人民のための、人民の統治”の前段には、”神の導きに従って、遂行されなければならない”という厳しい条件が課せられているなんて、この本を読んで初めって知ったのだ。
”自由”、”合理的”、”人工国家”といったような印象のあるアメリカ人が、非常に敬虔なキリスト教徒のポーズをよくとるのは、こなん所に根っこがあるのですね。

第一章の”歴史学と系譜額”は、副題が”日米関係の話”となっているが、非常に優れた歴史論でもある。この章は、”まえがき”に続き、素晴らしい内容である。
年号の丸暗記は、歴史的関係を縦ではなく横の広がりで捉えることができる、といっています。これは、確か松岡正剛さんの”誰も知らない世界と日本のまちがい ”の中でも論じられていました。
それと”起こらなかった出来事について考える”ことの大事さも説いています。歴史に、”IF”は禁物ですが、”もしも”を考えることによって、そのとき何故そうなったのかを深く考えることにつながります。
歴史の流れも、個人が重要であるといっています。”歴史の分岐点で転轍機のハンドルを切るのは最終的には一人一人の人間です。”と書いており、非常に情熱的な一文です。

”文庫本のためのあとがき”も秀逸です。普天間問題を、アメリカの”西漸指向”の観点から論じています。

とにもかくにも、一読をお勧めします。