火の賜物、そして脳は進化する。

”火の賜物”(リチャード・ランガム著、依田卓巳訳)を読みました。副題は、ヒトは料理で進化した、です。料理という題材をもとに、人間の進化と人間社会のしくみにまで迫ります。

火の賜物―ヒトは料理で進化した

火の賜物―ヒトは料理で進化した

誰もが、料理が人間を進化させただって?と疑問に思うでしょう。でもこの本を読んだ後は、誰もが料理が人間を進化させたことに頷かざるをえません。そして料理をするのに絶対必要である”火”が、人間の進化を惹き起こすキーとなっているのです。表題の通り、人間の進化は、”火の賜物”なのです。
私達は、料理というものが、日々の生活の中に溶けこんでいるので、その特異性に気づきません。ちょっと考えてみて下さい。人間以外の動物は、料理をしません。料理は人間だけがするのです。
料理が何故に、人間の進化を助けたのでしょうか。火を通された食物は、非常に消化がよい。人間の食事をする時間は、他の動物に比べ極端に短かいのです。人間以外の動物は生食を主としていますが、生食は消化が悪いため、一日の大半を消化する活動に費やされます。食物を消化するために大変なエネルギーを必要としています。一方火を通した食物は、消化をするエネルギーが少なくてよいので、その余剰分を脳が消化するためのエネルギーに回すことができます。このことが、人間を進化させた原動力と成り得たのです。
火を通したものが、生(なま)より食を促すのは、本能的なことなのでしょう。本文中には、”セネガルチンパンジーはアフゼリアの実を生で食べないが、サバンナで火事があったあとは、その木の下で焼けた実を探して食べる。”と書かれており、人類も太古の昔には同じ様な経験をしていたはずです。ここでさらに重要なことは、料理は火がないとできないということです。人類は、どうようなきかっけで火を使い始めたのでしょか?
動物は火を怖がります。人間は火をまったく怖がりません。火を上手くコントロールする知恵がすでにあるので、人間は火を怖がりませんが、太古の人類はどうだったのでしょうか。最初は火を怖がっていたはずです。ただ、ある日、火を怖がらなくなったのです。この辺は、本著には書かれていないので、想像するしかないのですが、人間が”火”発見するくだりが本著には書かれています。例えば生の肉を柔らかくするために、石で生肉を打ち付けた際に火花が飛び散り、近くの乾燥した枯葉の山から火が発生した状況が考えられまます。山火事のような大火であれば、火は恐怖そのものとなりますが、ぼやのような小さな火災であれば、太古の人類でもコントロールすることができます。太古の人類は、小さな火災を起こし、火をコントロールすることを憶えていったのではないでしょか。
火をコントロールすることを憶えたら、食物に火を通す行為まで一気に進みます。後は、火をコントロールする術と、食物に火を通し食べる行為が受け継がれていきます。生き抜くために必要なことなので、何世代も何世代も引き継がれれていくのです。

それでは、人間が火を手に入れることができたのは、何故でしょうか?それは、人間が”道具”を手にしたからです。道具を手に入れたからこそ、上に書いたように、石で生肉を打ち付けた際に火花が飛びちるような状況が生まれたわけです。
人間が”道具”を手に入れたいきさつを上手く表現している映画があります。そうです、あのキューブリック監督の、”2001年宇宙の旅”です。
YouTubeに投稿されている映像を引用します。

太古の人類が初めて”道具”を手にするシーンが描かれています。太古の人類が手にした”道具”は、動物の骨です。これは非常にありえることです。映画では、太古の人類がこの骨を空中に投げ上げ、ぱっと画面が変わり、地球の周りを周回する宇宙船へと映像が切り替わりシーンがあります。象徴的なシーンです。骨といった”道具”を手にした太古の人類は、その”道具”によって、ついに”宇宙船”をも作り出してしまったのです。

さてさて、だいぶ横道にそれました。本著に戻ります。
本著では、なぜ料理をすることが、女性の役割となったのかも書かれています。(これは、決して女性に料理を押し付けるものではありませんので、くれぐれも誤解なきよう、ご理解下さい。)
料理には時間がかかります。火の面倒も見なければなりません。狩りに出かける男性には、料理をする時間がありません。必然的に、住居の近くで行動する(子育ても重要な要素です。)女性が料理をすることになります。狩りから帰った男性を、温かい料理が待っている訳です。これって、現代も同じですね。温かい料理が待っている家庭といった構図に男性がほっとしてしまうのは、太古からの記憶がそうさせるのでしょうか。

ちょっと横道にそれますが、料理とは創造性に満ちた行為であると、おいらは思います。おいしい料理は、芸術に近いものがあります。食材の組み合わせと味付け、見た目、食感、匂い。おいしい料理とは、総合芸術のようなものです。
料理とは、味覚、臭覚、視覚、食感、手触り、聴覚といった、人間の全ての感覚に訴えかけるものなです。場合によっては、記憶にも訴えかける。
味覚。味覚の構成は複雑だ。辛い、甘い、しょっぱい、だしがきいてる、味噌の味、醤油の味、胡椒のあじ。etc、etc。
嗅覚。ニオイは、重要です。例えば、鼻をつまんで味わう料理ほど味気ないものはない。風邪をひいて鼻が詰まったときに感じる料理の味気なさを思い出して欲しい。
視覚。見た目も料理の一つだ。卑近な例で言えば、年末の恒例の一流芸能人という番組がある。高級料理を、目隠しで味見してどっちが高級料理かを当てる番組があるが、もし目隠しをしていなかったら、もっと正解率が高くなるであろう。
食感。固い、柔らかい、噛み砕く、飲み込む、喉越しetc、etc。食感にも多くに感覚がある。
手触り。これは食感の延長線上にある。日本では箸を使うが、東南アジア地域では手づかみの文化がある。日本人からすると、ちょっと未開な世界の文化ととらえられがちだが、これは、全くの誤解だ。一度試してみればわかる。手づかみのほが美味い。
聴覚。例えば、ラーメンをすする音、しょうゆせんべいを噛み砕く音が食欲をそそる場合もある。

そして、人間は、この五感以外にも、料理に求めているものがある。人間は、”情報”もたべているのだ。
評判の料理店であれば、その”評判”を食べている。行列のできる店であれば、”行列”も食べているのだ。脳が満足する”テキスト”を一緒に食べているわけだ。

料理が人類を進化させたのだ、といった観点にたつと、ある考えが浮かびます。
人間は、料理することにより、より柔らかい食物を摂取できることとなった。柔らかい食物の摂取であごの骨格の変化が生じた。生肉や固い木の実を噛み砕く頑丈なあごの骨格から、よりスリムなあごの骨格へと変化した。あごの動きが、より細やかさを増すこととなる。これが、人間の言葉(音の発生のみから多くのバリエーションをを生み出した。)を生み出す元になっているのでは、ないでしょうか。

いまや飽食の時代です。大量のカロリー摂取は、さらに脳を進化させることができるのでしょか?どうも、これは疑問です。
人間の脳はこれ以上進化しないのではないでしょうか。体型的に、頭頂部に脳が存在しているので、人間が行動する上で、これ以上脳自体が大きくなることはできないであろう。脳は、今以上のカロリーを摂取することはできないのではないでしょうか。但し、その代替として、脳は、脳の機能を外延化していこうとしているのです。脳機能の外延化の結果が、今のインターネットの時代へとつながっているのです。

何か、すごい結論に達してしまいましたが、”火”というもの、そして”料理”というものが、人類の進化に多大な影響を与えていることを、あらためて認識した次第です。