サイズ考

Galaxy Noteは結構いけるかも。Galaxy NoteのCMを観て、感じた第一印象だ。
Tabletではなく、Noteというカテゴリーを意識したところがポイントだ。
この5インチサイズは手にすっぽりとおさまる。7インチサイズでは得られない体感だ。7インチサイズは、すっぽりと手におさまることはない。

アプリもなかなか使いよさそうだ。
まずは、ちょっと動画を観て下さい。



5インチサイズは意外とフィットしたサイズかもしれない。

とまあ、そんな印象のGalaxyNoteであるが、実機を手にとってみないと実際の体感は分からない
近くのDocomoショップに行ったのだが、残念ながらデモ機は置いてなく、モックアップのみであった。
手にとった印象は、確かに手にはすっぽりとおさまるが、思ったより大きい。
そばにあった7インチタブレットを手に持ったが、こちらはすっぽりと手におさまることはないが、手のひらにのっける感じだ。

GalaxyNoteは、非常に微妙な大きさである。
タブレットでもない。スマートフォンでもない。確かに、新しいカテゴリーの大きさかもしれない。それがゆえに、"Note"と表現しているのであろし、"Note"といった表現が似合う大きさである。

最近、iPhoneの画面サイズが大きくなるとか、iPadの画面サイズを7インチにしたiPadminiが発売されるのではといった、サイズにまつわるウワサが再熱し始めている。
まあそういうわけで、最近"サイズ"とういのが気になってしょうがない。
そこでサイズについて考えてみることにした。

■ 画面サイズと人間の意識
さて、画面サイズが人間の意識に与える影響とはどの様なものなのであろうか。
今や身の回りには、いたるところに"ディスプレイ"が存在している。
おいらの周りにも、iPhoneiPadMacやTVの画面が身近に存在している。
それらのデバイスを使っていて思うのだが、画面サイズによって、使う側の意識が異なるということだ。
画面サイズによって、使う側の意識が変化するのである。

簡単にまとめると、次の様になるだろう。

小さい画面の場合、人間の意識は画面に対して集中する。画面が小さいがゆえに、小さい画面から確実な情報を得ようと、その小さい画面に意識が集中する。
画面から情報を得ることが最優先となる。
このため、人間の行動としては情報を得ること、すなわち読むことが主体となる。

画面サイズが徐々に大きくなると、人間の意識は画面に対して能動的に働きかけるようになる。
表示画面に対して何かアクションを起こしたくなる。
画面サイズが大きくなるにつれて、情報を得ること(=読むこと)に加え、情報をインプットすること(=書き込む行為)が誘発されてくるのだ。

さらに表示画面が大きくなると、逆に意識は受動的になる。
人間の行動は、見ることに専念し始める。これは、読むことに専念するというよりは、情報を消化することに専念し始める。
例えば、大画面のTVは、提供され情報量が多すぎて(表示されるコンテンツの内容以外にも、色の表現とか)、意識は情報を消化することに専念せざるを得なくなる。

ここまで書いてきて、上に書いた考えはかなりざっくりとした考えであることに気付いた。
もう一つ、画面サイズに対する入力手段も考慮する必要がある。
入力手段が何であるかによっても、表示画面に対する意識が変化する。

まずは、Appleのスタンスはどうかと言うと、iPhoneiPadは指での入力をすべての前提にしている。
Jobsは、スタイラスペンでの入力を、嫌っていた。
これは、半分正しい。指での入力をできるのになぜわざわざスタイラスペンを使わなければならないのか。それに、いつもスタイラスペンを持ち歩かなければならないし、小さいペンは紛失しやすい。
但し、手書きや文字やドローイングをする場合は、スタイラスペンの方が断然よい。なぜなら、人間はすでにペンや筆といった道具に使い慣れているからだ。

今回発売されたGalaxyNoteは、指での入力はもちろんであるが、スタイラスペンの使用も前提としている。スタイラスペンも単なるタッチ入力もツールのみではなく、入力を補助する機能を備えている。
例えば、ペンボタンを押したまま右から左へドラッグすると表示画面が戻ります。ペンボタンを押したまま下から上へドラッグするとメニュー表示画面が現れます。ペンボタンを押しながら画面を2回タップすると、Sメモライトが起動します。ペンボタンを押しながら画面を一回ロングタップすると画面のキャプチャができてしまいます。
これは、便利ですね。スタイラスペンを手書き文字入力の手段としてのみならず、他の機能を利用できるツールとしたところがミソです。

これって、iPhoneのアプリにも活用できそうですね。ノートアプリとスタイラスペンをセットにして販売するってのもありかもしれません。
もう、誰かが思いついて開発に走っているかもしれませんね。

だいぶ前のブログで、TVは再定義する必要があると書いたのですが(書いたまま、再定義の内容についてはまだ書いていない)、再定義の一つとして、リモコンに入力手段として別の機能を持たせることも含まれるでしょう。
TVのリモコンに許されているのは、ただチャンネルを選択することのみです。このリモコンで、チャンネル選択以外のことができたら、TVを再定義できるかもしれません。
TVはまだまだ受動的な存在です。リモコンを上手く利用して、TVに対して能動的に関わることができたら、TVを再定義することができるかもしれませんね。

MicrosoftApple
ちょっと話題が脇道にそれたので、もとに戻します。
MicrosoftAppleの画面サイズに対するアプローチを比較してみると面白い。

Microsoftは、画面サイズの呪縛から逃れようとしている。
これは、Microsoftがデバイスをコントロールできないからだ。
一方、Appleは画面サイズに囚われている。
これは、Appleがデバイスをコントロールできると同時に、アプリの設計に画面のサイズが深く関わっているからだ。
(続く)