TVの終わり、そして始まり。(第2回)

前回はTVの思い出で終わってしまった。
TVの思い出は尽きないので、TVの思い出話ばかり書いていると、本題に入ることができないので、とりあえずTVの思い出話は今回やめておこう。

ここ2週間ばかりTVを観ていない。
なぜって?
それはTVが壊れたからです。
最初は、TVが観れない〜!困った困ったと思ったのだが、そうだ、iPadがある。そう思いつき、iPadpodcastを利用している。
いまは、TVの代わりにiPadpodcastを観ているのだ。
最初は、TVを観れないのは困るな〜と思っていたが、全く困らない日々が続いている。(でもそのうち買い換えようとは思っているけどね・・・)
なぜ困らないのか。いまの世の中、ネットがあるので情報ソースには全く困らないのだ。
それでは、TVとは何だったのだろう?

TVとは何か?
TVが登場する以前の情報ソースや娯楽は、ラジオや新聞であった。映像の娯楽に劇場でみる映画があるが、これは地域的な制限(田舎にはない。ある程度人口のある都会でないと映画館がない。)があった。
TVが登場してから、情報ソースや娯楽の主役がラジオや新聞や映画からTVに移ったのだ。
TVに夢中だった時代を思い起こすと、TVに求めていたものは、3つに分類できる。
まずは、娯楽コンテンツ。
前回紹介したひょっこりひょうたん島しかり、ウルトラQウルトラマンウルトラセブンマグマ大使、連想ゲーム(たぶんNHKにあったような気がする)、サインはVNHKの一連の少年ドラマシリーズ(タイムトラベラー、夕ばえ作戦、謎の転校生、etc)、年始年末は定番の歌謡大賞や紅白歌合戦やかくし芸大会と娯楽コンテンツは数限りなくあった。
次は、生放送。
衝撃的だったのは、浅間山荘事件の延々と続くかとも思われた生放送だ。
人質救出のための突入作戦が生放送されたのだ。これは衝撃的だった。
それと人類初の月面着陸。38万キロも離れたところから生中継するなんて信じられない。
次は、異種体験。
これは、上に記した事件性を帯びた放送も含まれるかもしれないが、もっと日常の場での異種体験だ。
一番印象に残っているのは、兼高かおる世界の旅だ。
題名のとおり、兼高かおるさんが、世界中のあっちこっちを旅して紹介する番組だ。幼い頃は、世界を旅するなんて夢のまた夢であった。
TVは、自分にはできない体験をさせてくれたのだ。
TVに求めていたのは、コンテンツ、生放送、異種体験の3つだ。

さて、現在に戻るとこの3つはTVでなくも十分に、またそれ以上に享受できる環境が整っている。
インターネットに接続されたデバイス群だ。
Smartphone、Tablet、PCがTVの代替をしてくれているのだ。
そう、これらのデバイスがTVの終わりを告げているのだ。人々は、TV受像機に価値を求めていないのだ。
3D機能にさえも、価値を求めていないのだ。

それでは、TVに何を求めるべきなのか。
ちょっとヒントになるような気になる記事がある。
この記事で紹介されているのは、IntoNowというソーシャルTVアプリケーションだ。このアプリは、米国でのみのサポートとなるが、非常にいいアプリだ。
TVで放送されいる内容を音声認識し、番組に関連する情報をiPadに表示させてくれる。それにSNSへの書き込みも行えるのだ。
この音声認識をして、自動的に関連する情報をiPadに表示してくれるところがミソだ。
今までのTVをコントロールするデバイスは、キーの付いたリモコンが主であった。
いまの世の中マルタッチ入力に慣れた消費者にとって、キー入力のリモコンは過去の遺物である。
IntoNowは、マルチタッチ以外に音声認識を利用するシチュエーションをTVの世界で実現してみせた。これは、画期的だ。

さてさて、それではAppleはAppleTVで何を変革しようとしているのか。
次回は、その辺を考えてみることにする。
SonyのストリンガーCEOもAppleのTV戦略には気を揉んでいるようだしね。