TVの終わり、そして始まり。(第1回)

ここ数日で、ちょっと驚くべきニュースが流れた。
時代はこれほど変わったのか、と思わせるニュースだ。
日本を代表する家電メーカ2社が、相次いでPDP/液晶テレビの生産縮小を発表した。
発表はパナソニックが先行し、SONYが後を追うかたちとなった。
両メーカとも、テレビの重要性を認めてはいるものの、パナソニックPDPの生産半減させ、SONYは2012年に4000万台販売予定であっが、これを半減する。
ただ残念なのは、生産縮小後のテレビ事業に対する希望のある戦略が具体的に見えない点だ。
パナソニックは、PDPの大型化にシフトするとしているが、ただ画面を大きくすればいいというものでもなかろう。SONYSONYで、次世代テレビの開発をほのめかすものの、具体的な内容は語られていない。
パナソニックSONYも、TVはがリビングでの王様であることは理解している。ただ、TVの未来を描けていないのだ。
おそらくTVの時代、正確に言うとTV受像機の時代は終わったのである。
そして、新しいTVの時代を語れる企業のみが、生き残れるのだ。

■ TVの思い出
ここまでが書いてきたら、無性にTVの思い出を語りたくなってしまった。本当は、AppleTVのことなどを書いて終わりにしようと思っていたのだが、それでは終わらない気分になってしまった。
とりあえず、今回は第一回ということで、TVの思い出を書いてみようと思う。
おいらが最初に"TVを観た"記憶をたどると、何を観たかは忘れてしまったが、最初は近所の家に観に行っていた記憶がある。
こんな文章を読むと、今の若い人には信じられないかもしれない。同時においらの歳もばれそうではあるが・・・。
いまの若い人は、生まれた時から自宅にカラーTVが存在していたので、隣にわざわざ観に行くなんて信じられないであろうが、TVが世の中に流通し始めた当初は、TVの受像機は高価なものであり、おいらのような貧しい家庭に生まれた(貧しいことを非難しているわけではない。貧しくても、両親には感謝しているのだ。)者は、隣の家に観に行ったのだ。
隣の家にTVを観に行く時期がどれほど続いたか記憶にないのであるが、ある日突然、我が家にもTVが現れた。
それからは、TVの虜になった。
確か、NHKチロリン村の最終回に近い放映を観た記憶があるのだが、定かでない。もしかしたら、後々に何かの放送で観たものを、リアルタイムで観ていたと勘違いしているかもしれない。
リアルタイムで観たと、記憶がはっきりしているのは、同じくNHKひょっこりひょうたん島である。
こんな時、便利なのがYouTubeWikipediaだ。
ひょっこりひょうたん島のオープニングビデオがYouTubeにあった。
ひょっこりひょうたん島のオープニングはこんな感じです。あ〜懐かしいな〜。

歌詞がいいんですよね。
"まるい地球の水平線に何かがきっと待っている。苦しいこともあるだろさ、悲しいこともあるだろさ、だけど僕らはくじけない、泣くのは嫌だ笑っちゃお、進め〜〜〜、ひょっこりひょうたん島ひょっこりひょうたん島、ひょっこりひょうたんじ〜〜ま〜〜〜。"
ううっ、こう書き出してみるとなんていい詞なのでしょうか。
漂流している島という閉ざされた世界であるけれど、登場人物も個性に満ちた人々で彩られており、社会の縮図でもあるわけです。
登場人物一同の写真も懐かしいので掲載しておきます。

やっぱ、印象的なのは、博士ですかね。写真前列の左から3番目の大きなメガネをかけている少年です。声は、中山千夏さんでした。何か問題があるとアイデアを出して解決していた記憶があります。

さてさて、今回はこの辺で終わりにしておきます。