Appleは、キャズムを越えた。

ジョブズも普通の人なのだ。
シロさんのブログに紹介された" My Neighbor, Steve Jobs "というブログの記事がある。原文はこちら
ブログのライターは、Lisen Stromberg さんというお母さんライターである。
記事の内容は、次に様なものだ。(以下ブログの抄訳)
『最近マスコミでジョブズのことを取り上げているけど、ここパルアルトでは、ジョブズ氏は偶像ではなく、住人のひとりなのよ。
私が最初にジョブズ(ここでは、ジョブズ氏なんて呼ばないわ)と会ったのは裏庭のプールパーティーでのこと。お互い紹介しあったわ。 私はちょっとどじったけど。
子供と泳いでいる姿は、よき父親ってとこね。
ジョギングしていたときも見たわ。夢中で子供と話してた。
ハロウィーンのときにも合った。ジョブズはわたしの名前を覚えてくれていたわ。フランケンシュタインの仮装をして、歩道に座っていた。わたしが息子と通りすがると、ハーイと言って名前を呼んでくれたの。息子は、この街で一番のクールな母親って思ったに違いないわ。
時が過ぎ、いろいろ変わった。散歩の回数は減り、足取りは遅くなり、笑顔もすぐ出てこなくなった。今年の初め、ステーィブと奥さんが手しっかり取り合って歩いているのを見たわ。何かが違ってきたと感じた。
ニューズウィークやウォールストリートジャーナルやCNETやらは、ステーィブ・ジョブズの時代の影響について書き続けているけど、私はステーィブが息子の卒業式に出席した時のことを思うわ。
ステーィブは、すっと立ち、涙を流し、満面に笑みを浮かべ、誇らしげにしていた。自分の息子が卒業証書を受け取り、輝ける未来へ踏み出した
のだと、確信していたわ。』
ジョブズを暖かく見つめる視線に、胸がジンときます。
ジョブズも普通の人なのだと、つくづく感じます。普通の人が噛みしめる幸福を、ジョブズも噛みしめているのだと。

さて、ジョブズに関して今までこの様な視点から書かれた文章があったでしょうか?ジョブズが、AppleのCEOを退いたということもありますが、これほどジョブズを同一目線で描いた文章は無かったのではないでしょうか。
このブログには沢山のコメントも寄せられています。
ジョブズとうい存在が、多くの人に意識されているのだな、と感じます。これは、Appleも多くの人に意識される存在になったのだな、と感じさせてくれました。

"Appleは、キャズムを越えた。"なんていうと、そんなのとうの昔に越えているという意見や、そんなのまだだという意見もあるでしょう。
おいらは、Appleの製品を愛用し続けているので、Appleキャズムを越えたのか越えていないのかは、実感できなかったのですが、何故かこのブログを読んで、"Appleは、キャズムを越えた。"と実感しました。

Appleキャズムを越えたことがよく分かるプレゼン資料があります。
faberNovelが、SlideShareに投稿したプレゼンからの抜粋です。これって、すごく分かりやすいです。
Appleブランドは、iPpdやiPhoneiPadによって、キャズムを越えたのです。

もう一つ思ったのは、ジョブズがCEOを退いてから、"Apple=ジョブズ"みたいな構図が解き放たれて、今までジョブズを盛り上げてきたAppleのスタッフにスポットライトが当たり始めたことです。これは、いいことです。
そして、最近強く思うのは、Appleは皆のものなのだな、ということです。
Appleの根強いユーザーが、キャズムを越えるまでAppleを支えてきたのです。
ジョブズが、Appleに復帰したときも2500万人ものMacユーザーがいました。この顧客がいたからこそ、Appleは復活できたのです。
ジョブズAppleを見守る根強いユーザーに応えるべく、Appleの復活に邁進したのです。
キャズムを越えた今、Appleは皆のもの、皆のブランドであり続けるのです。