脳の科学史

日立製作所のフェローでもある小泉英明さんの”脳の科学史 フロイトから脳地図、MRIへ”を読みました。

最近ちょっと”ことば”に興味が集中しており、”言語”とはどのようにして生み出されているのか、何かヒントが得られるかもしれなと思い、読んでみました。
全編を読んで感じたことは、人間を理解するためには、結局脳の働きを理解する必要があるということです。
それでは、読んで感じたことを、書いていきます。

脳地図の一例として、ペンフィールドホムンクルスの図が紹介されています。この図を見て感じたのは、人間にとって手の指が意外と脳機能の多くを占めていることです。それと口の部分も大きく描かれています。WikimediaCommonsからペンフィールドホムンクルスの図を引用してみます。

どうでしょうか。運動野においても感覚野においても、手の指と口の部分がほとんどを占めています。
ここで、はたと思ったのですが、今やSmartPhoneやTabletPCが爆発的な普及を迎えています。SmartPhoneやTabletPCが爆発的に普及する要因の一つとして、マルチタッチインターフェースがあります。脳機能と照らし合わせると、マルチタッチインターフェースは人間の脳にとって非常にマッチした、フィットしたインターフェースであることがわかります。SmartPhoneやTabletPCが容易に受け入れられるのは、脳機能から見て当然のことなのです。

今までは、脳細胞は年をとると再生しないことが常識でしたが、最近の研究によると、この通説が覆されたそうです。年をとっても脳細胞は再生するのです。最初はカナリアで確認されましたが、今では猿やそして人間でも確認されているとのことです。これは非常に勇気づけられる事実です。人間は年をとっても進歩し続けることができるということです。年をとることは、どこか人間のピークを越えて衰えていくばかりの印象しかないのですが、これは間違えで、人間の脳は最後までピークを維持できるということです。

本文では、言語についての言及も多くあります。
”人間が言語を持てたのは、相対音感が発達したからかもしれない”とあります。相対音感が発達したことによって、男女がしゃべっても小さい子供がしゃべっても同じ”言葉”として理解されるということです。
相対音感は、人間だけが持つ能力のようです。チンパンジーもせいぜい3パターンの音しか区別がつきません。
ただ何故、相対音感を人間が身につけているのかは、まだ謎のままです。

”言語”には、聴覚言語と視覚言語があります。赤ちゃんのころは聴覚言語のみです。これに視覚が加わり視覚言語を理解するようになります。
この辺がよくわからないのですが、聴覚言語と視覚言語は同時に発声したのか、最初は聴覚言語のみであったのか。おそらく、聴覚言語が最初にあったのでしょう。口伝とかがその種の始まりなのでしょうか。ただ思うに、口伝のような聴覚言語と、テキストを主体とした視覚言語にはどこか同じ言語でも本質的なところが異なっているような気がします。聴覚言語には、音の高低とか言葉の伸ばし方や感情の表現も含まれますが、視覚言語にはまったくそれらの要素が存在しません(発生音を完全にテキスト化することができない)。聴覚言語の方が、一つのフレーズに多くの情報を盛り込むことができるのではないでしょうか。

このブログを書いているときに、ちょっと興味ある記事が発表されました。世界の全ての言語はアフリカに祖語にさかのぼることができるといった記事です。世界の504の言語(世界には6000前後もの言語があるそうですので、その一割弱)を調査し、音素の数を比較したものです。
記事から画像を引用します。
音素の数の変化をたどることによって、人類が地球上にどのように広まっていったかという足跡がたどれます。この図を見ると非常にきれいにその足跡がたどれますね。

この記事でおいらが気になったのは、アフリカの言語にみられる音素の多さです。音素が141もあります。一方日本語はというと、簡単にいうと、a/i/u/e/o とk/s/t/n/h/m/y/r/wの組み合わせしかないので、14くらいしかありません。ちょうどハワイも似たよな数になっています。これから考えると、アフリカの言語の音素の多さには驚かされるます。
それでは何故、アフリカの言語には141もの音素が存在しているのか。人類の発祥の地がアフリカだとすると、アフリカの地には人類が言葉を生み出したときの状況が伝承されていると考えてもいいでしょう。人類は多数の音素で言葉を交わしていたということです。これは、当時の人類の状況を想像すると納得できます。おそらく初期の言語は、単音に近いものであったでしょう。”あ”であれば、”あ”という発音と対象となるもの(動物や動作といった基本的なもの)を対応させていたはずです。言葉と対応させるものとを単音で結びつける為には、多くの単音の発声パターンが必要です。このため、音素の数が多くなったのではないでしょうか。

”動物は形や匂いで識別するが、人間は言葉に置き換えて思考”します。
但し、芸術関連の研究では感性でも正しい判断ができる、とする論文もではじめているそうです。人間は言葉なくして思考ができるのでしょうか?これもまだ謎です。言葉なしの思考を、頭の中で描くことが全くできません。それほどまでに、言語は人間の思考に深く深く関わっているのです。

言葉の重要性には、”言葉により未来をイメージできる”ことにあります。未来を意識できるのは人間だけです。動物は言葉が無いので未来をイメージすることができません。
ここにも言葉とは何かといった重要な要素があります。時間の経過を表す言葉があるから未来を語れるのか、そもそも時間の経過を表す言葉がどのようにして生まれたのでしょうか。これもまた謎です。

残念ながら、”言葉”については、あまりにも謎が多すぎます。
言葉は人間特有のものですが、これがいかに生まれたのか、生来のもの(DNAに組み込まれているのか。)なのか、後天的に学習されたものなのか、まだ良く分ていません。

視覚もかなり重要で、視覚認知は階層構造となっています。人間がものを識別するまでには、かなり複雑なステップを踏みます。
まず、網膜から情報の入力がなされます。この情報が要素分離(輪郭線・方位・運動方向・色など)されます。この情報が、並列分散処理されて具体表現となります。形と色と動きに分離されたあと視覚連合野で形態視と空間視が統合され統合表現となり、大脳辺縁系の記憶とリンクされ言語野で意味表現となり実体を把握します。
ここで面白いのは、見たものは記憶と照会されるので、見たことがないものは、何が何だかわからないということです。確かにそう言われるとそうですよね。クイズ番組にもあるように、日常品でも極端に拡大された写真を見せられると一体それが何であるかわかりません。
”記憶”も脳を理解する上で、重要なキーワードになりそうですね。物を認識する(理解する)ためには、記憶の参照が必要である。脳は記憶の貯蔵庫なのかもしれません。

本著では、”憎しみ”に関する記述もあります。どうも”憎しみ”とは人間固有の感情のようです。動物には憎しみがありません。憎しみはとは、自己保全の延長線上にあるような気がします。ただ、憎しみとは、何かを生み出すものというより、破壊を生み出すものです。人間は何故、憎しみといった感情なぞを進化の途上で体得してしまったのでしょうか。”憎しみ”といった感情をなくすことができるのか。それとも、”憎しみ”をなくしたら、人間ではなくなってしまうのか?

最後の章にALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんの例が挙げられています。2年半くらい一切コミュニケーションが取れていなかったのですが、患者さんの旦那さんは、きっと退屈だろといった思いから、ずーっとTVをつけていたそうです。その結果、患者さんの脳は萎縮せず、ついには旦那さんとコミュニケーションが取れるようになりました。脳とは、情報を欲しがる存在なのですね。脳とは情報を消費したがるものなのです。