ことばと文化

先日のブログで、今井むつみ著”ことばと思考”を紹介しましたが、引き続き”ことば”に関する本を紹介します。
鈴木孝夫著”ことばと文化”です。

ことばと文化 (岩波新書)

ことばと文化 (岩波新書)

本著では、ことばと文化のかかわりが語られていきます。最後の”人を表すことば”の章では、”人を表すことば”をヨーロッパ圏の表現と日本人が使用する表現とを比較することによって、日本文化論を展開しています。この章は、本著でも最大のページ数を割かれており、著者も力を入れていることがうかがえます。”人を表すことば”の切り口で日本文化を語るユニークな章となています。

おいらが気になった箇所をいくつかピックアップしていきます。
まず、ことばのバックグラウンドとして、文化が存在しています。ことばと文化は切っても切れない関係にあります。
”文化というものは、当の本人が自覚していない、無数の細かい習慣の形式から成立しているものであって、かくれた部分に気付くことこそ、異文化理解の鍵であり、また外国語を学習することの重要な意義の一つはここにあると言えよう。”と述べています。
これは異文化の解釈のみではなく、日本の文化を理解する上でも重要な観点です。自国の文化は、日々の暮らしの中で当たり前のように振舞われているますが、”かくれた部分に気付くこと”が重要です。文化を形成する暗黙知をあぶり出すことが、日本文化とはなにか、日本のことばとは何かを理解する上で重要になります。

外国語を学ぶ上で、気をつけなければならない点があります。
”外国語のことばや表現を、無意識のうちに、自国の文化のコンテキストに置いて解釈してしまう傾向”があるからです。本著でも、ことわざや顔のどこに注目しがちとか、いろいろな例が挙げられています。結局ことばを理解するためには、その国や地域の文化を理解する必要があることになります。

ことばというものは、人間の主観から世界を切り取ったものであると述べています。
”人間のことばというものが、対象の世界を或る特定の角度から勝手に切り取るというしくみをもっている。”とし、例として、水ということばの表現の違いをあげています。マレー語は、”air”の一語、英語は、”ice”、”water”の二語、日本語は、”氷”、”水”、”湯”の三語があります。この例には、おいらもびっくりしました。特に英語との比較にはびっくりです。そういわれてみると、英語には”湯”に相当することばがありません。”湯”といった場合、”hot water”となります。”湯”を一語で表現することばがありません。”熱い水”が”湯”なのです。英語は、固形(=ice)と液体(=water)といった、状態を表す切り口しかないのですが、日本語では温度といった感覚的な切り口が存在しています。日本語には、感覚的な表現が結構多いのではないでしょうか。

ことばは人間にとってどのような役割を演ずるのでしょうか。
”人間は生のあるがままの素材の世界と、直接ふれることはできない。素材の世界とは、渾沌とでも、カオスとでもいうべき、それ自体は無意味の世界であって、これに秩序を与え、人間の手におえるような、物体、性質、運動などに仕立てる役目を、ことばがはたしていると考えざるを得ない。”としています。ことばは世界に秩序を与えてくれます。この秩序から思考することが生まれ、思考をアウトプットする方法として文字が発生し、より抽象的な思考を推し進めていったと考えられます。

顔の描写で着目する箇所が、国によって異なっていることに著者は気づきます。
”人間の眼というものは、そこにものがあれば、誰にとっても同じように見えるという公平無私のカメラではない。必ずそこには文化的な選択が行われるのである。”といった結論にたどり着きます。
人間は常にフィルターを通して、世界を見ています。文化のフィルター、個人の感情のフィルターを通して世界を見ています。
ちょっと話がずれますが、印象に残る写真とは、一片の映像であっても見る側に感情を喚起させてくれます。クリアーな写真が決していい写真ではなく、写真を撮ったときの感情を喚起してくれる写真がいい写真です。SmartPhoneのアプリでは、写真を加工してくれるアプリが沢山ありますが、これは加工することによって、より感情をインプットできるからです。

さて、本著では、”或る一定の音的形態と一定の意味が結合したものがことばである。”としていますが、この「意味」というものが曲者です。
「意味」には、二つの性質が含まれていとしています。”ことばの「意味」は個人個人によって、非常に違っている”し、”ことばの「意味」は、ことばによって伝達することができない。”としています。
本著では、ここから辞書論が展開されます。
”人が他人にことばを教えることができるのは、ことばの「定義」を教えることができるのであって、実は「意味」は教えていないのである。”とし、”辞書の役目は、ことばを「定義」すること”であり、”辞書で「石」を定義する必要なない。”と言い切ります。何故なら「石」といものを体験的に知っているから、です。
ここから大きな課題が浮き上がってきます。ことばは定義できるが、それではことばの意味とはなんなのでしょうか?
”意味論”まで至ると、おいらも考えが詰まってしまいます。ウィキペディアで”意味論”を調べたのですが、奥が深いの一言です。
ただいえるのは、”ことば”はあくまで”記号”であって、”ことば”に”意味”を与えるのが”文化”なのではないでしょうか。