東日本大地震について思うこと。

今回の地震の被災地の方々への心からのお見舞いと、亡くなられた多数の方々へ、合掌。
インターネットでの義援金の取り組みはこちらです。おいらも、さすがに今回は義援金援助を実施しました。とにかく、今回の災害は未曾有のものです。
思うに、今回の東日本大地震東北地方太平洋沖地震)は、予想をはるかに超えた規模の地震であったとしか言いようがない。
おいらも、地震が発生した時には、都内JR田町駅近くのビルの23階で会議をしていた。最初は、あっ地震だ、と誰もが顔を見合わせた。ちょっと大きいな、と感じた。ちょっとすると、おさまるように体感したのだが、次に予想を越える揺れとなった。この揺れも大きかったのであるが、もうおさまるだろうと経過した後に、さらに大きな揺れとなった。この大きな揺れが、長く、長く続いた。このときは、生きた心地もなく、これで一貫の終わりかとも思った。大きな揺れが、全く減衰しないのだ。部屋の天井や壁が、みしみし音を立てている。ただ、ホワイトボードとかは倒れる程ではなく、まだ大丈夫だ、とも思えた。
気象庁は当初マグニチュード8.8の規模と発表したが、後日マグニチュード9.0に訂正した。この際、3つの大きな規模の地震が連鎖したと伝えているが、ほぼ体感も3つの大きな地震が重なったものであった。)
やっと揺れもおさまりかけて、窓からとなりのビルを下にみると、このビルがまだゆれているのがよく分かった。ビルが揺れているのを見るなんて生まれて初めてである。道路も車はストップしており、車道には多くの人が溢れていた。
地震がおさまり、階段を利用して地上へなんとか避難したが、それ以降も大きな余震があり、今回の地震の規模の大きさを実感した。
JR線は数時間もすれば再開するだろうと考えていたが、これは甘かった。JR線は、早い時期に再開ではなく、当日の運行取りやめを宣言した。これは、おいらも帰宅避難民だな、と思いつつもJR以外の鉄道の復旧に一縷の望みをつないだ。
最初は、徒歩で帰れるかと思い、Google Mapsで自宅までの距離を検索したら40Km弱もあり、これはどうみても無理だと、即諦めた。
今回の体験でつくづく感じたのは、必要な情報を得ることの難しさである。必要な情報が得られないと、何とも心細いものだ。インターネットが万能かといえば、そうでもない。意外と普通の携帯のワンセグ放送が情報ソースとして有効だ。近くにいる人が、ワンセグの音を大きくして放送を見ていたのだが、このワンセグからの情報が、リアルな必要な情報として流れていた。特に、JR線は当日の復旧を諦めていたが、地下鉄や私鉄の復旧情報の速報は、ワンセグから流れていた。
おいらもインターネットで鉄道の復旧状況を調べていたが、周りの人が話す情報の方に信憑性があるように感じた。自分一人で判断するよりも、同じ情報でも一端人の口から伝えられた情報の方が、信憑性を感じるのだ。これは不思議なことだ。同じ情報でも、人の口を通して伝えられると、どこか安心感を覚えるのだ。不思議である。

今回の地震は、とにかく予想を超えたものであった。この予想を超えた地震が発生したことをすみやかに伝えることができたら、津波の被害ももう少し抑えられたのではないだろうか。堤防を越えて津波が襲ってくるなんて、誰もが思ってもいなかっただろう。ただ、それが起きたのだ。地震の発生から津波が襲ってくるまで30分弱の時間があった。30分近くあれば、安全な地帯に避難することは可能であったろう。正確な情報を伝えることの重要性をつくづく感じた次第だ。

今回の地震の規模の凄さを伝えるビデオがある。津波が伝播する模様をシミュレーションしている。24時間で太平洋全域に津波が伝播していくことがよくわかる。
地震発生と同時に、津波の影響を即シミュレーションして対応策を講じることはできないものだろうか。今回の地震による津波の被害は、人間の自然に対する無力さを感じるが、それでも人間の叡智を結集し、対応策を講じるべきである。