Appleは強欲なのか

■ Appleは強欲なのか
Appleが定期購買ができるサービスを開始した。これは、とってもいいことだ。メディアを提供する側にとっては歓迎されるサービスだ。とは言え、寺銭が30%とはちとお高いのだ。
この辺の心情は、この記事にうまく吐露されている。
そもそもなんでもかんでも、一律30%の寺銭を徴収するというのは考えものだ。定期購買と言うことは、継続的に利益が発生するわけで、一発ものの販売とは明らかに異なる。
Appleの定期購買サービスの発表を受けて、間髪いれずGoogleOnePassというAppleに対抗したサービスを発表した。こちらは寺銭が10%とかなり良心的だ。
ただ、10%もまだ高いと思う。5%程度が妥当なのではないでしょうか。コンテンツの配給ルートと購読料金徴収システムの提供料金としては、5%程度でもいいのではないか。
Appleのいう30%の取り分がどの様な根拠によるものかは定かではないが、一般的な感覚からすると、高い。
Appleの取り分は、もっとフレキシブルに設定してもいいのではないでしょうか。最初の一定期間は30%でもいいかもしれない。それ以降の購読に関するAppleの取り分は、ユーザが購入を継続する期間に応じて変更してもいいのではなか。長期継続購入した場合、Appleの徴収率を減らしてにいいのではないか。そうすれば、Appleの徴収率が低くなったら、購読者の料金負担額の低減にも道が開けるというものです。
と、ここまでが、おそらく多くの人が、Appleの取り分が30%もあることに対する感想だろう。
なかには、いずれ50%にもなる、といった意見もあり、これらの意見を聞くと、Appleって強欲だよね、っと思ってしまう。

■ 30%ルールの徹底
果たして、Appleは心底強欲なのか。
まず、妥当な取り分は何%なのか、といった議論がある。そこには正解はない。なぜなら、新しいビジネスモデルだからだ。情報提供に対する妥当な価格、といったものは存在しない。いまの日本の新聞紙をとってみても、月あたり4000円程度の価格が妥当なのか誰にも分からない。その程度の価格で最初から販売されているので、こんなもんだろうと納得しているだけだ。でも、おそらく多くの人は、高いと思っているはずだ。
情報の価格決定の難しさは、さきのブログでも紹介したが、梅棹忠夫氏の”情報の文明学”の中にでてくるお布施理論が意外と的を得ている。要は、”格”が価格を決定している、ということだ。この、”格”といった表現にも曖昧さがある。
結局、情報や情報の提供に関する”価格”は曖昧なのである。
Appleはこの曖昧さの中に、明確なルールを設定した。アプリやコンテンツの配信や、それを使用するデバイスで一定の操作性をもって動作することの保障の取り分を30%としたわけだ。
要は、配信するものが何であれ、配信するものがアプリであれ雑誌のコンテツであれ本であれ新聞であれ、配信する”ビット”がどのようなものであれ、30%をAppleの取り分としてるのだ。
例えば、ニュースコンテンツであれば、ニュースを提供する会社の規模や種類によって、Appleの取り分を変更すべきだといった意見もあろうが、そのよな配慮は一切排除して、(おそらくそのような配慮をしても、では何が妥当な値なのかは誰にも分からない。)一律30%としている訳だ。ゲームのルールを一元化しているのだ。

と言う訳で、Appleは30%ルールを貫き通すだろう。