フェイスブック 若き天才の野望

フェイスブック 若き天才の野望”(デビット・カークパトリック著。滑川海彦、高橋信夫訳)読了。原題は、”Facebook Effect”である。

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

フェイスブック 若き天才の野望 (5億人をつなぐソーシャルネットワークはこう生まれた)

Facebookとは何なのか、何故爆発的に普及したのか。(今や6億人を超えようとしている。)、他のソーシャル・メディアとは何が違うのか、を知りたくて本著を購入した。期待に反しない内容であった。また、Facebookのスタートアップ時の投資家とのやり取りや、経営陣のスカウト状況も詳しく書かれており、米国のベンチャー企業のスタートアップのリアルな状況をみることもできる。
この本を読む前のFacebookの印象は、単にソーシャル・メディアの時流にうまく乗った会社といった低レベルの理解であったが、本著を読むとこれは大きな誤解であった。
マーク・ザッカーバーグは風貌からは推測できない、強い意思の持ち主であることが分かる。とにかくフェイスブックが完遂すべき目的に向かい、ただひたすら走り続けてきたのだ。
フェイスブックを成功に導い要因は、マーク・ザッカーバーグの人間に対する洞察力にある。本文中でも書かれているオリビア・マ(父はワシントン・ポスト社の上級管理職)の言葉を引用しよう。
「私は最初のランチでマークの心理的洞察力に驚いた。マークによると、学生には大学の仲間と交流したいという抑えがたい欲望がある。そのため、彼らは自分の友だちが何をしているか、何を考えているか、どこにいるかを夢中で知りたがる。マークはとてもシンプルに、しかも深く物事の本質を見抜く力があった」
そして、マーク・ザッカーバーグの頭の中には、贈与経済とそこから生み出される新たな世界の青写真があるのだ。長期的な計画のもと、それを実現しようとする強い意思が最初からあるのだ。ここが、他のソーシャル・メディアと異なる点だ。
(この贈与経済という考え方を、内田樹氏は”街場のメディア論”の中でも触れています。”贈与経済”といった考え方が、今後の社会の新しい流れとなるかもしれません。)

さて、以下本著の全体をまとめてみる。
フェイスブックとは何かフェイスブックの萌芽は、「コースマッチ」というインターネット・ソフトウェアを開発したときにある。マーク・ザッカーバーグは、「ぼくはこの時、人々を結びつける方法がいろいろあることを発見した」のである。
ザ・フェイスブック(最初の頃は、ザ・フェイスブックと呼んでいた。)は、AIMの「留守番メッセージ」から重要なヒントを得ているようだ。マーク・ザッカーバーグは、AIMの留守番メッセージの拡張とアラート機能により、友達がユーザの近況を知ることができるようなプラットフォームを考えていた。これは、フェイスブックの中核をなす。
フェイスブックが爆発的に普及したのも、人間の行動の中心をなすものにジャストフィットしたからだ。
「人々がフェイスブックでやっていたのは、他人の情報を観ることだった。みんな、何か新しいことはないか、何か変わったか、何か自分の知らないことがおきていないかを知りたくて、うずうずしている」のである。
そして、マーク・ザッカーバーグは、ビル・ゲイツがパーソナル・コンピュータでやったことを、ウェブでやりたかったのだ。「フェイスブックを一種のオペレーティングシステムのようにして、本格的なアプリケーションを動かせる場所にしたかった」と言っている。そう、フェイスブックは、ウェブのオペレーティングシステムなのである。

■ グーグルと何が異なるのか常にフェイスブックはグーグルと対比されるが、フェイスブックはグーグルの延長線上にあるものではない。全く異なるものである。
グーグルの対象がデータであるのに対し、ザ・フェイスブックの対象は人間なのである。
グーグルは、ユーザがすでに欲しいと決めているものを探す手助けをし、フェイスブックは、ユーザが何が欲しいかを手助けするのだ。
グーグルに代表される従来のウェブ訪問者の分析方式は、どのサイトを訪れて何をクリックしたのかにより、性別、年齢、興味を推論していたが、フェイスブックは、ユーザがあらかじめ自分について正確なデータを持ってやってくる。このため、個々人をターゲットにして広告をうつことができるのだ。

■ プライバシーの問題実名で登録したり、個人の履歴や趣味を記載し公開することは、プライバシーの問題に触れざるを得ない。自分自身をどこまでオープンにすべきなのか。
ザッカーバーグは言う。「オープン性の高いところまで人々を持ってくこと。それは大きな挑戦だ」
「でもできるとおもう。ただ時間はかかる。多くのことを共有するほうが世界は良くなるとうい考え方は、多くの人にとってかなり異質なもので、あらゆるプライバシー問題にぶつかる」
本著を読んで感じたのは、どこまで個人の情報をオープンにすべなのかは、徐々に人々の意識が変わってくる可能性があるのではないかということだ。
フェイスブックまたはソーシャル・ネットワークのプラットフォームが、個人の名刺替わりになるような社会基盤となるのではないだろうか。自分というものを理解してもらうための、社会インフラ的な位置づけになるのではないでしょうか。

フェイスブックそしてインターネットは、どこに向かおうとしているのかインターネットの次の発展を示唆する一文がある。本文中”匿名の群衆ではなく、実体のある個人がインターネットの主役になっていく。”とある。実社会で実名で生活しているように、ネットの中でも実名での活動が当たり前となるのではないでしょうか。
また、フェイスブックの社会的可能性も示唆する。”フェイスブックは個人が個人である権利を主張するひとつの方法になるかもしれない。”
マーク・ザッカーバーグの経済に対する考えと信念が、その向かうべき姿を映しだしているともいえる。
「もっとオープンになって誰もがすぐに自分の意見を言えるようになれば、経済はもっと贈与経済のように機能し始めるだろう。贈贈与経済は、企業や団体に対してもっと善良にもっと信頼されるようになれ、という責任を押しつける」
「本当に政府の仕組みが変わっていく。より透明な世界は、より良く統治された世界やより公正な世界をつくる」

ただ、フェイスブックが構築する世界に問題もある。
ニュースフィードのニュースは、あまりにも個人的だ。
「自分の家の前で死んでいくリスのほうが、アフリカで死んでいく人たちのことよりも、たった今は重要かもしれない」
著者は言う。”これはフェイスブックに関わる重要な社会的問いの一つでありさらに深く研究する価値がある。”
人間にとって一番大事なことと思ってしまうのは何なのでしょうか。これは人間の行動を理解する上で重要だ。

著者は、フェイスブックの次のステップとして、従来メデイアとの融合をあげています。
”伝統的メディア企業は、この新しい人間中心型情報構造に、どのように適合するのだろうか。次の段階はおそらく、フェイスブックと通常メッディア、特にテレビとのさらなる融合だろう。”と述べています。すでにソーシャルTVという分野が米国には存在しているので、この下地はできていると考えられます。

著者は、ゲーリー・ハーメルの言葉をさらに引用します。
”「現在ウェブで起きているソーシャル化という変容は、われわれの大小さまざまな組織に対する考え方を根底から変えるだろう」「人間の能力を集約し増強する」方法は官僚制と市場であった。「そしてこの10年間にネットワークという三番目の存在が現れた。それは、われわれが複雑な仕事を一緒に行う手助けをする、と同時に誰の声を聞かせるかを決めるエリートの権力を破壊する」”
インターネットの時代は、やはり新たな潮流を生み出すことになるのだ。

「ぼくたちは、人々が情報共有するための力を与えるためのツールだ。だからそのトレンドを推進している。そのトレンドに従って生きていくほかはない」
マーク・ザッカーバーグは、フェイスブックを個人の発想というよりも、必然的に向かうべき世界と捉えている。そして、「フェイスブックコネクト」により、フェイスブックをインターネットの根本構造に組み込もうとしているのである。

マーク・ザッカーバーグの野望とは何か。
著者は言う。”彼が支配したいのはフェイスブックだけではく、ある意味では進化し続ける、この地球全体のコミュニケーションインフラストラクチャーかもしれない。マーク・ザッカーバーグは、ザ・フェイスブックを「人間を登録する電話帳」にたとえた。フェイスブックは、全人類、少なくともその中でインターネットにつながっている部分の総合人名録をつくることを目標にしている。そこから、あらゆる個人と個人の間に直接経路が生まれる”のである。

フェイスブックそしてソーシャル・ネットワークは、社会をそして世界変える可能性を秘めているといえる。そして人間とは何か、どのような社会を築けばいいのかを、われわれにもう一度問いかけているのである。