ウィキリークスに乾杯

アメリカ外交公電Wikileaks流出事件が巷のニュースを駆け巡っている。
ただ夏ごろからウィキリークスは話題になっていたようですね。

今回11月28日のアメリカ外交公電の流出につては、Wikipediaでも”アメリカ外交公電Wikileaks流出事件”と称して掲載されている。
そんな中、ついにウィキリークスの創設者が国際手配になってしまった。
ウィキリークス創設者、インターポールの手配リストに掲載
ウィキリークスの創設者であるアサンジ氏は、どこか胡散臭い雰囲気もありますが、あのTEDにも出演していすね。
なぜ世界にWikiLeaksが必要なのか (TED Talks)

それにしても、ウィキリークスの行動に乾杯!である。

そもそも、国家の機密情報とは何なのか、である。そもそも誰のための機密なのか?
記憶に新しいのは、例の尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突ビデオだ。これは誰が見ても、機密情報ではないことは明らかだ。

この事態の根底には、情報のデジタル化、情報の流通網であるインターネットの普及がある。
ビットはフリーになりたがる、と言ったのは”FREE”の著者であるクリス・アンダーソン氏であるが、これはコストが限りなくゼロに近いという意味であった。このビットはフリーになりたがるとは、その言葉通り、ビットは自由を求めて流通していくことも意味しているのだ。ビットは流通することを欲しているのだ。
おそらく、デジタル化されたいかなる情報も、このビットの本質から逃れることはできない。

さて、機密情報とはなにか?機密というからには、公にされては困る情報だ。公になると困るという情報は何か、といえば、本来の行為からすると逸脱している行為を示す情報といえる。すなわち法に対しても逸脱した行為を示す情報でもある。
誰の為の機密なのかである。政治と言うものが、国民の為にあり国民が法によって統治されているのであれば、国家もまたしかりである。国民の幸福を第一と考えているのであれば、機密情報なぞはありえないはずだ。
機密にすることが、誰の利益につながるのか。よく考える必要がある。
今回の公表された公電には、他国や各国のトップの批判めいたコメントもありようだが、そのうような人物批評は除いたとしても、公開して国民が不利益を被るものなのであろうか。
そもそも国家にのみに対する不利益情報が、公にされない理由があるのだろうか?

ウィキリークス経由でリークされた、イラク戦争のショッキングな映像がある。

これは、米国の問題としてとらえられがちであるが、これが人間の本性でもある。”戦争”という名目が、人間を狂わすことになることも事実として捉えるべきである。

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