TVその陳腐な存在

本日ぶらりとヤマダ電機まで行った。ヤマダ電機には残念ながらAppleの製品は展示されていない。いつの頃だったか、いつの間にか無くなっていた。残念である。ここ最近、気のせいか家電量販店が混んでいるなっと思ったが、どうやらエコポイントが12月1日から半減するようだ。駆け込み購入のため、多くの人が家電量販店に詰めかけいるのであろう。
おいらも、ちらっとTV売り場を覗いてみた。大小の画面サイズの液晶テレビプラズマテレビがずらりと並んでいる。画面には、マラソンや野球や映画とが映し出されている。
ふっと思ったのは、その画像のフラットさだ。なに言ってんの、フラットテレビだもの画像がフラットなのは当たり前だ、と言われそうだが、違うのだ。映像に奥行きがないのである。そしてぎらぎら光るような表示。この画面で長時間見続けるのは耐えられない。
おいらのリビンあるのは、まだブラウン管テレビである。SONY製のWEGAだ。SONY最後の大型ブラウン管テレビである。画面サイズは28型。確か32型まであったと思うが、価格面で断念した。ハイビジョン対応であるが、おいらのは残念ながらスーパーファインピッチではない。でも映像は素晴らしく綺麗だ。ブラウン管の表示画面は目にソフトに映る。光がホットなのだ。液晶テレビの画面の光は非常にクールなのだ。そのため、画面がフラットに見えるのだ。
ブラウン管テレビと液晶テレビの本質的な違いを、SONYのCEOを務めた出井氏が、”迷いと決断(新潮新書)”の中で書いている。その行を引用してみる。”それよりも、今でもひっかかっているのは、「あのとき、プラズマトロンというトップラインをやめてしまってよかったのだろうか」という思いです。液晶テレビは、続いてもあと10年か15年でしょう。本当のブラウン管は、自分で光るべきもの。後ろからバックライトを当てなければ光らない液晶が最終製品とは思えません。”ブラウン管テレビと液晶テレビの違いとは、ブラウン管テレビは電子ビームを蛍光体に照射して蛍光体を発光させるのに対して、液晶テレビは光を透過させてRGBの色を作り出すのだ。要は自分で発光するのかしないのかの違いである。ブラウン管テレビはRGBが発光し、液晶テレビはRGBが発光しないのである。おいらもこれを読んで納得したのだ。ブラウン管テレビから受ける画像の印象と液晶テレビから受ける画像の印象は、この発光するかしないかの違いから発生するものなのである。
さて、話が横道にずれた。TV売り場に並んだ液晶テレビの画面から流れ出るくるのは、相変わらず民放TVやNHKの放送である。コンテンツの放送形態は、TV放送が始まって以来何ら変わっていないのだ。ずらりと並んだ画面から一方的に垂れ流される画像には、正直飽きあきしてしまった。
こんなTVをエコポイントが半減するからといって急いで購入する必要があるのか?今購入するTVは、民放やNHKの放送が一方的にしか映らないんですよ。(厳密にいうとケーブルTVや衛星放送も映るし、DVDプレーヤを繋げば映画も観られる。)今の世の中を見たら、世の中に流通するコンテンツはTV放送だけではないのですよ。そうなのです。インターネットを介したコンテンツが膨大にあるのです。今後そのコンテツは爆発的に増加するであろうことは、目に見えています。それに、TVの機能はいまだに一方的に放送することだけなのです。それもたった一つのチャンネルの映像を映しているだけなのです。(マルチ表示が可能なTVもあるが、TVの機能としてスタンダードになっている訳ではない。PCのブラウザは、表示する画面の数や表示するコンテンツは何でもあってもよい。制限がないのである。)今のTVはインターネット時代に全く対応していません。それゆえ今のテレビは、陳腐な存在なのです。
米国では、GoogleTVが発売され、AppleTVもリニューアルされました。いまおいらが欲しいのはインターネットTVなのだ。陳腐なTVよさようなら、なのだ。
日本の企業も3D TVに力を注いでいる場合ではないのだ。3Dが新しいTVの価値を生み出すわけではないのだ。TVの放送形態を変革してしまうようなTVの開発に注力して欲しいものである。