日本辺境論
"日本辺境論”の紹介です。内田樹氏の著作です。
- 作者: 内田樹
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/11/16
- メディア: 新書
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辺境人との認識に立った瞬間、待てよ、辺境人って以外といい面もあるよね、といった発見に至ります。本書では、それが”学び”の優位性をもたらし、日本人独特の”機”の創造につながり、ひいては日本語の素晴らしさへと発展していきます。日本は辺境であるがゆえに、世界に類を見ない独特の文化を生み出してきたのです。
”辺境人の「学び」は効率がいい”の章では、”学び”の重要性についても語られています。本文中に書かれている、”太公望の武略奥義の伝授”についてのエピードは、”学ぶ”ことの本質を突いています。”秘伝”の伝授とは、テクニカルなものではなく、その”ものの考え方”にあります。”考える”ことの姿勢にあるのです。この章では、子弟論的なことも語られており面白いです。逆説的な子弟論が展開されています。それに、”水戸黄門”についても語られており、日本人の権力意識構造にも迫っています。
最後の章では、”日本語”の素晴らしさが語られています。日本語論としても秀逸です。日本語は、”表意文字”と”表音文字”で構成されており、図象と音声を同時処理する言語である。ただ、これは世界中を見回しても、きわめて例外的な言語状況である。そしてそれが、日本のまんが文化を育成したのです。日本人は、まんがの”絵”と”ふきだし”を並列処理できるがゆえに、まんがのヘビー・ユーザになれたのだ、と。
この章で、日本語に近い構造をもつ、ユダヤ人が使うヘブライ語のエピソードが語られています。その中で、神殿の中で、祭司長のみが唱えることができる”言葉”があり、ただそれは神殿破壊により伝承が失われ、今ではどのように発音すべきか分からない”言葉”があるそうです。この”言葉”をどのように発音すべきかの論議が続いており、発音が不明な”言葉”についての知の体系作りが、今もなされているのです。この箇所を読んだとき、何か、非常にミステリアスな創造に駆り立てられました。”言葉”って非常にミステリアスです。
そしてそういうことだったのかと、一番うなったのは、紀貫之が書いた土佐日記の重要性です。残念ながら土佐日記を読んだことはありませんし、教科書的な理解しかありませんでした。日本史上初めての日記だとか、初めてかなで書かれた文学だとかといった理解のみでした。しかし、著者はもっと深い重要性を指摘しています。かな混じりの表現が、日本人にとって意味を広く伝える最大の武器となったことです。ここから日本語が生まれたという、非常にエポックメーキングな出来事だったのです。それを考えると、紀貫之ってすごいなー、と感心しました。
著者は言います。日本語の様なハイブリッド言語は、他国にない、と。漢字とひらがなの組み合わせにより、漢字が与えるイメージや意味が非常に強調されます。中国語は、全て表意も表音も漢字です。日本人であれば、漢字が読めるのでおおよそ何を伝えたいのか理解できますが、表音も漢字なので、表意の箇所が全体を覆い尽くす漢字に埋もれてしまい、”漢字”が伝えたい意味が薄められてしまいます。
日本語というのは、素晴らしい言語なのですね。