続・日本人の英語

前回のブログに続き、またまたマーク・ピーターセン氏の著作の紹介である。

続・日本人の英語 (岩波新書)

続・日本人の英語 (岩波新書)

”正”に続き”続”も立て続けに読んだ。続編は、映画や日本の文学を中心にその英語表現の妙と難しさに迫っている。ちょっとした英語文化論そして日本語文化論ともなっており、正編に続き、愉しく読ませて頂いた。
あの"カサブランカ"のセリフについて、複数の訳を比較するくだりは非常に興味深い。ストーリーの流れと、登場人物の関係とそれぞれの思いを汲み取らないと、原文の意味が十分に伝わらないのだ。非常に淡白なセリフの訳になってしまうのだ。翻訳とは非常に奥が深く、一字一句が重きをなす作業であることを深く感じるとともに、一字一句をきちんと伝えられなかった場合の影響を考えると、その怖さも感じるのだ。
映画のセリフは、訳すという行為が、かなり野暮なことなのだろうか。原文のままのほうが、その描写の雰囲気をうまく伝えているのだ。
逆のこと、日本語を英語に訳した場合に伝えたい感情がうまく伝わるのか、といった問題もある。文中でも取り上げているが、冒頭の伊丹十三監督作品の"タンポポ"の中のセリフとか、小津作品の”東京物語”のセリフ、そして究極は、俳句の英訳だ。俳句を英訳するのはかなり難しいであろう。日本文化のバックグランドと語句のテンポとそのココロが伝わるように訳すのは、至難の技である。
また逆の例として、川端作品の”山の音”が取り上げられている。こちらは、日本語で表現された”やさしく”という言葉を、作中の人間関係をもとに、nice、good、kind、gentleの四つの英語表現に変えている。本文の解説を読むと、この四つの英語表現がいかに入念に選ばれているかが分かる。
本文を読んで初めて知ったのですが、英語には、アングロサクソン系とラテン系といった二つのルーツがあるのですね。アングロサクソン系は、古英語を語源としており、著者は、人間味が感じられるアングロサクソン系を好んでいる様です。この辺からも著者の言葉に対する愛着を深く感じます。
英語をものにすることについて、著者が最後に書いています。貴重な言葉ですので、抜き出しました。
” 必要なのは没頭することだけである。”
” その英語を英語としてあるがままに読むことが大切なことだろうと思う。”
” 日本語にどう訳すかという以前に、その表現の内側に入り込むことが必要だろう。”