クラウドの先にあるもの(第2回)

クラウドの先にあるもの”第2回です。
今回は、クラウドの中核となるインターネットの歴史を紐解いてみる。クラウドに至るまでの道のりを辿ってみたい。

インターネットの誕生までを、簡単にビデオ化したものがあります。8分間でインターネットの誕生までを概観できます。

ビデオの内容は以下の通りです。
全ては、1957年に始まった。
1957年より前は、コンピュータは、同時に一つのタスクしか処理できなかった。バッチ処理と呼ばれていた方式だ。この為、処理能力を拡大する為に、コンピュータも大型化が進んだ。当時からコンピュータは発熱処理の問題に悩まされている。大型のコンピュータは、空調がガンガン効いている空調ルームに鎮座していた。
この時期は、デベロッパーはプログラムを書き込んだ磁気テープをコンピュータルームに持ち込んで、結果をじっと待つしかなかった。プログラムにバグがあったらさあ大変。じっと待っていた時間も無駄となり、プログラムのバグ解析に取り掛からなければならない。そして、修正したプログラムをコンピュータルームに持ち込んで、結果をハラハラどきどきして、またじっと待つわけだ。非常に効率が悪い。
そんな状況下、1957年にビッグチェンジを迎える。リモートコネクションだ。デベロッパーは、大型コンピュータとダイレクトに接続できる手段を手に入れた。これと同時に、タイムシェアリングのアイデアも生まれた。マルチユーザがコンピュータのパワーをシェアするという概念が生まれた訳だ。
1957年10月4日、冷戦時代の最中、当時のソ連によりス人工衛星スプートニクスが打ち上げられた。これはアメリカにとって防衛上の脅威となり、1958年2月にDARPA(Defence Advanced Research Project)が設立された。
当時、”知識”(情報)は人と人とのやり取りで伝達されていた。DARPAは、大規模なコンピュータネットワークを計画した。”知識”の伝達を加速するのと共有化をはかる為だ。
このネットワークがARPANETの前身となる。
さらに、コンセプトの異なる3つのモデルが開発された。これらが、インターネット発展の基盤となっている。
アメリカではRAND社が生み出したミリタリー・ネットワークがある。
イギリスでは、NPL(National Physical Laboratory)がコマーシャル・ネットワークのコンセプトを生み出した。
そして、フランスのCycladesが生み出したサイエンティフィック・ネットワークである。
それではよく知られている、ARPANETから始める。ARPANETは1966年の初めに開発された。
大学では一般的にコンピュータのシェアに対してはガードが堅い。このためSmall ComputerをMainframeの手前に接続した。この端末は、IMP(Interface Message Processor)と呼ばれ、ネットワークのアクティビティを管理する。一方、Mainframeはプログラムとデータファイルの初期化にだけ専念した。
IMPは同時にMainframeとのインターフェイスも司っていた。IMPはネットワークの中に接続されていたので、IMPサブネットとも呼ばれていた。
コンピュータどうしの接続のために、Network Working GroupがNCP ( NetworkControlProtocol )を開発した。NCPは後になって、より効率的なTCP(Transmission Control Protocol)にとって変わられる。TCPはファイルの伝送に適している。
一方イギリスに目を向ける。
NPLのネットワークは商用向けにデザインされていたので、多くのユーザとファイル転送の利用が予想された。このため、伝送路の混雑を避けるため、ファイルを小さく分割して送る方式を考えついた。PACKETーSWITCHINGの誕生である。
1962年アメリカはキューバ危機をむかえる。キューバからのミサイル攻撃の可能性に晒された。当時の情報システムのネットワークは中央集中型である。ミサイルにより中央の情報システムを破壊されると情報システムそのもが分断される。これを避けるため、分散化ネットワークが開発された。ノードが破壊されてもネットワークは生き続ける。
RadioWaveによる通信も核攻撃により影響が発生する。DirectWaveを使用すると短距離にしか届かない。より良い方式として、分散型ネットワークを取り入れた。
フランスのCyladesもインターネット誕生のマイルストーンの一つだ。Cyladesは予算も少なかったので構成できるノード数も少なかった。この少ないノードどうしを接続する手法が取られた。
この方式がInter-netを生み出した。さらにCyladesのコンセプトはArpanetやNPLよりも先進的なものであった。コンピュータ間の送受信に何者も介する事がない。Cyladesのプロトコルは全てのマシンの物理レイヤーを通り抜けて行く。これによりEnd To Endの構造ができあがった。
Cycladesのネットワーク方式に触発され、またネットワーク間の非互換性問題もクローズアップされた事により、どのネットワークにも接続できることの重要性が増した。
電話会社はX.25のプロトコルを開発した。
DARPATCPGatewayを通して接続することにした。
ISOはOSIの標準化を推めた。今では、TCP/IPがスタンダードモデルとなっている。
1990年2月28日にARPANETのハードウェアは撤去された。でもインターネットは動き続けている。

以上でこのビデオは終了する。

さてインターネットの発展には、通信とコンピュータの進化が基盤にあることは、誰も異論がないであろう。
通信の本質は、ロケーションフリー(有線は、コミュニケーションの距離感を無くしたし、無線は、まさにロケーションフリーである。)とリアルタイムである。通信はこの実現に突き進む。
コンピュータの本質は、全てをビット化、デジタル化に向かわせる。そう全てである。いままでビット化されてきたものは、テキストデータ、音声、画像と順次ビット化に必要なデータ容量が大きな対象へと突き進んできた。これに限界はない。人間が知覚できるものをビット化、デジタル化してきた訳だ。

インターネットによりビット化、デジタル化の壮大な流通ネットワークが形成されたのである。
(つづく)