TVの終わり、そして始まり。(第8回)

TVが壊れTV的視聴をiPad2のみで3ヶ月ほど過ごし、新たにTVを購入し1ヶ月程が過ぎた。
購入したTVは前回のブログにも書いたが、SONYBRAVIA KDL−32EX720だ。これは、接続先がYouTube等に制限されるが、一応ネットに接続できる。(YouTube以外は、専用のチャンネル接続となります。詳しくは、<ブラビア>ネットチャンネルを参照して下さい。)

TVでYouTubeが満喫できるぞ!と思い、購入して早速YouTubeに接続した。当然のことながら、YouTubeの中からコンテンツを選択しなくてはならない。選択するためには、サーチするキーワードを入力しなくてはならない。このキーワード入力が、とっても大変なのだ。お目当てのコンテンツにたどり着くまでが大変だった。
このキーワード入力が大変なので、今ではYouTubeはTVで観ていない。
ジョブズが"TVをぶち壊してやる!"と言ったのもうなずける。
今のTVのインターフェイスは、テキストを入力して何かを選択するといったこととは、全く親和性が良くないのだ。
これは、スマートフォンタブレットと全く異なる発展の歴史をもつからだ。
TVの誕生から今までを振り返ると、TVを観る人に与えられた選択権は、チャンネルを変えることだけである。
TVのユーザインターフェイスは、チャンネルを切り替えることしかないのである。当然のことながらインタラクティブ性などまったくない。
インターネットTVが流行らない原因はここにある。TVのユーザインターフェイスは、インターネットと全く親和性が良くないのだ。
そうなると、あえて今のTVとインターネットを無理ごりドッキングする必要がるのだろうか。
例えば、AppleiPhoneiPadはAppleTVと連動してAirPlayという機能をサポートしている。これは、iPhoneiPadに表示された画面を、AppleTVに接続されたTV画面にミラーリングする機能だ。
これであれば、インターネットに接続された画面(コンテンツ)をTVの画面で簡単に視聴することができる。
それに、今までのTVが不得意なキー入力のわずらわしさからも開放されるし、インターネットのインタラクティブ性も損なわれない。
もしかしたら、これが正解なのかもしれない。

TVのある生活に戻って1ヶ月程経つが、TVで観られるコンテンツには十分満足だ。完全にデジタル化され画面も綺麗だし、それに映画も綺麗な画面で満喫できる。TVは、このままでもいいのではないかとさえ思ってしまう。
ただ、唯一言えるのは、TV(=TV受像機)が娯楽(映像を観ること)の中心ではなくなりつつあることだ。
今では、いたるところに4つのスクリーンが存在している。スマートフォンタブレット、PCそしてTV。
かつては、十分鑑賞に耐える映像受像デバイスは、TVのみであった。それが、今では4つスクリーンがいたるところに存在しているのだ。

この記事は、米国のTV事情を書いているが、参考になる。
要は、TVが終わるというよりは、コンテンツの視聴が多様化しているということだ。
逆に言うと、コンテンツの配信はTVのみをターゲットとしては駄目ってことだ。コンテンツの配信は、常に4つのスクリーンを意識していないと駄目ということだ。
視聴者は、コンテンツがブロードキャストで配信され様がブロードバンドで配信され様が、4つのスクリーンを利用するシチュエーションに適して配信されれば満足なのである。

さて、こうみてくると、TVはコンテンツを観る唯一のスクリーンではなくなった。4つあるスクリーンのなかの一つに過ぎない存在となってしまったのだ。
果たして、TVに未来があるのか。
思うに、TVを再定義しない限り、TVには未来が無い様な気がする。
それでは、どの様に再定義すればいいのか?それとも再定義などできないのか?
(つづく)