ウィナーのサイバネティックスとマクスウェルの悪魔が救世主となる。

ノーバート・ウィナーの古典的名著である”サイバネティックス 動物と機械における制御と通信 ”が岩波文庫から出版された。岩波書店もがんばってくれてます。岩波書店には感謝します。

本著の第1部は1948年に、第2部は1961年に書かれたものです。いまから60年近くも前の著作です。本著の内容で、既に一般化した概念(フィードバックの概念や脳のニューロンが電気的信号を伝播する事実)もありますが、その論旨には陰りがありません。

ウィナーは、この”サイバネティックス”で何を語らんとしたのでしょうか?
そして、60年以上たった今の時代に、どのように読み解かれるべきなのでしょうか?

本著で言及される分野は広範囲に渡っています。
まずは、各章題を掲げておきます。
第1章 ニュートンの時間とベルグソンの時間
第2章 群と統計力学
第3章 時系列、情報および通信
第4章 フィードバックと振動
第5章 計算機と振動
第6章 ゲシュタルトと普遍的概念
第7章 サイバネティックス精神病理学
第8章 情報、言語及び社会
第9章 学習する機械、増殖する機械
第10章 脳波と自己組織系

章題をみても分かる通り、内容は多岐に渡っています。章題だけでもわくわくするような内容です。

さて、それでは現在の時点で、この”サイバネティックス”をどう読み解けばいいのか。おいらが気になったのは、前半部分です。ウィナーが展開する理論を、今のネットワーク社会の視点から読み解けないものかと。

第1章は、”ニュートンの時間とベルグソンの時間”で始まります。
ニュートンの時間とは、可逆的であり時間軸に対し物体の存在位置(または物体の現象)は確定的です。確率論的な捉え方をすれば、物体の位置は、時間軸上の特定の一点を指定すれば、確率1で特定の位置に存在します。
ベルグソンの時間とは、非可逆的であり時間軸に対し物体の存在(または物体の現象は)は不確定的です。確率論的には、物体の位置は、時間軸上の特定の一点を指定しても、確率1で特定の位置に存在することを示すことはできません。あらゆる場所にある確率で存在することになります。

ニュートンの時間”とはニュートン力学が支配する時間であって、”ベルグソンの時間”とは、生物学的な時間の概念に近いものがあります。

第2章の”群と統計力学”と題して書かれていますが、気になるキーワードがあります。
それは、”情報とは負のエントロピー”であるとしていることです。これは次章でも述べられます。
熱力学では、エントロピーは常に増大へと向かいます。例えば、高温の気体は放置しておけば次第にエントロピーは増大し温度が下がっていきます。高温の気体が、増々高温になることはありません。
この熱力学のエントロピーという概念をウィナーは、情報理論にも敷衍させて行きます。

この章ではマクスウェルの悪魔が登場します。マクスウェルの悪魔とは、熱力学的に並行した気体があるとして、その気体の中でも平均より温度が高い気体分子を集めてしまうのです。目の前を平均より温度高い気体分子が通過したら、さっと扉を開きその気体分子を取り込んでいきます。するとどうでしょう、扉の向こうには温度が高い分子が集まります。マクスウェルの悪魔とは、エントロピーを減少へと向かわせるのです。マクスウェルの悪魔は、どのようにして温度の高い分子を見分けるのでしょうか。マクスウェルの悪魔は、この分子は温度が平均より高い、といった情報を得ているはずです。この情報を得ることによって、マクスウェルの悪魔は扉の開閉をするのです。そう、マクスウェルの悪魔は、情報を得ることによって負のエントロピーを実現しているのです。

第3章は、”時系列、情報及び通信”と題し、熱力学のエントロピーいう概念を情報理論にも展開していきます。
ちょっと気になる文章を抜き出していきます。
『この情報とは何であろう。情報の最も簡単な基本的な形の一つは、同等な確率でどちらか一方が必ず起こる二つのうちから一方を選ぶこと、たとえば硬貨を投げるときの表か裏かというような、選択を記録することである。』
この二者選択を無限に繰り返す数式と、測定誤差(測定誤差が発生すると二者選択が意味をなさない。測定誤差が発生するまでが、決定項として意味をなす。)を考慮して導いた数式から、情報量は、通報(Message)と雑音(Noise)からなるとしています。

第4章は、”フィードバックと振動”と題し、フィードバックを通し、フィードバックが適切であれば、対象の系は安定へと向かい、適切でなければ収斂しないことを示してくれます。

さて、この前半部分の論旨を元に、現在のネットワーク社会の実像にせまることができるのでしょうか。

まず、第3章で示された、情報量の定義をもとに、”ネットワーク社会”というものを定義できるでしょうか。
情報量は、”通報”と”雑音”から構成されることは、至極納得がいくものです。
これをネットワーク社会に敷衍してみると、ネットワーク社会の特徴として、フィルタリングとフィードバックがあります。
フィルタリングとは、ネットワーク社会の中に流通している膨大な情報から、有用な情報を掬い出すことです。
フィードバックとは、ネットワーク社会の中に流通している膨大な情報の中から特定の情報を増幅させることです。
これを数式で表すと、
(ネットワーク社会)=M(フィルタリング、フィードバック)+N(フィルタリング、フィードバック)
となります。
情報とはもともとM(=Message)とN(=Noise)で構成されていますが、ネットワーク社会も構成は同じです。
ただ、この構成要素のMとNにはFunctionとして、”フィルタリング”と”フィードバック”の機能が付加されています。
重要なのは、ネットワーク社会では、雑音(=Noise)が”フィルタリング”と”フィードバック”によって、通報(=Message)に変位することです。
現実的な状況として、ネットワーク社会には膨大な”雑音”が流通していますが、その”雑音”が”フィルタリング”と”フィードバック”により”通報”へと変化していくのです。

MはもともとMessage性が高い、著名人や有識者が発する情報ですが、この情報も”フィルタリング”と”フィードバック”によって、さらにMessage性が強化されます。
Nは、ちょうどブラウン運動をしている分子群のようです。個々の情報はあっちこっち勝手な方向を向いていますし、全体を眺めてもそれぞれが衝突し合っているようにしか見えません。
ただ、このブラウン運動にも似たNの特定の情報に”フィルタリング”と”フィードバック”が適用されると、強力なMへと変貌を遂げます。
Nにおける”フィルタリング”とはNのなかから方向性をもった情報を掬いあげることです。この掬い上げた情報に、さらにNのななから方向性を制御する情報を”フィードバック”させるのです。これによりNの中の一部の情報が増幅されて、強力なMへと変貌して行きます。
増幅がうまく収斂する場合と収斂しない場合とがあります。収斂した場合、Mと同じ強いMessageを世の中に送り出せますが、収斂しない場合は、ネットの炎上になってしまいます。

さて、ウィナーの”サイバネティックス”をもとに、現在のネットワーク社会の方程式を導いてみましたが、実は本著の第2章にマクスウェルの悪魔が登場し、昔読んだブルーバックスの本を無性に読みたくなり、合わせて読みました。その本は、都筑卓司さんの”マックスウェルの悪魔”です。今は新版として出版されていますが、おいらは確か学生の時に都筑さんの著作を貪り読んだ記憶があります。文書が平易で非常に分りやすかったのと、そんな平易な文章から現実世界からは想像できないような物理現象をうまく解説されており、ちょうどミステリーやSFを読むような感覚で虜になったことを憶えています。
今になって再度新版を購入し読んだのですが、やはり相変わらず面白いです。今回は数十年の時を経て読み返したのですが、最終章は”カタストロフィー”と題して終了しています。当時はあまり気にならなかった。最終章では、今後爆発的に増大するであろう情報に(本著は1970年に書かれている)、社会全体が押しつぶされてしまう未来を憂えるような記述で終わっていいます。
ボルツマンが世界の熱的終焉を憂えたように、都筑さんは情報の爆発による世界の終焉を憂えていたのでしょうか。
ただ、それを救うのは、人間がみずからマックスウェルの悪魔となり、情報の爆発(都築さんはっこれを、エントロピーの増大としている。おそらく爆発する情報量をノイズとしてみなしている。)から世界を救う救世主となることだ、として締めくくっています。
都築さんは、残念ながら2002年に逝去されています。都筑さんが亡くなられてから10年近くたち、確かに、現在は情報が爆発している世界と化していますが、都築さんが望んだように、人間がマックスウェルの悪魔となって、この爆発する情報の世界の中を泳ぎきっています。それもまだ発展の段階にあります。都筑さん、ご安心下さい。人間には、まだ素晴らしき未来が待っているでしょう。


ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)

ウィーナー サイバネティックス――動物と機械における制御と通信 (岩波文庫)