世界屠畜紀行を読む。

内澤旬子さんの”世界屠畜紀行”を読みました。

世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)

世界屠畜紀行 THE WORLD’S SLAUGHTERHOUSE TOUR (角川文庫)

角川文庫で出版されて、即購入し読みました。気になっていた本だったんですよね。単行本が出版されたときは、内澤さんのイラストが、非常に心地良く感じていました。(立ち見みです。)
文庫本だと、内澤さんが描くイラストの良さが残念ながらうまく伝わらないのが難点です。文庫本の大きさだと、どうしてもイラストが文庫本の1ページに収めなくてはならないので、全体的にイラストがこじんまりしてしまいます。
内澤さんが描くイラストの心地良さ満喫したい方には、単行本をオススめします。
世界屠畜紀行

世界屠畜紀行

屠畜(本著では屠殺ではなく屠畜と表現しています。)というテーマは、だれもが興味をもつものの、誰もが避け続けたテーマかもしれません。
そんな、心に突き刺さるようなテーマを選んだ著者の勇気に心が震えます。
とはいうものの、本著の語り口はいたってあっけらかんとしています。あっけらかんとしていることが、重いテーマありながら、読んでいて楽しめてしまうのです。

各国の屠畜事情が書かれていますので、各国の文化論としても読めます。
おいらが気に入ったのは、バリ島のルポでした。バリ島では好きなことを仕事にするようです。複数の仕事をもっていて、午前中はこれ、午後はあれ、といった感じで仕事をしているようです。何って自由なのでしょうか。バリ島の人びとの方が、本来の仕事の意味に沿って生きているのだなーと感じました。自分が得意なことを仕事としているのです。その選択も自由だし、誰からも文句を言われません。

本著で取り上げられている国は、韓国、バリ島、エジプト、チェコ、モンゴル、沖縄、インド、アメリカそして東京です。東京の芝浦に屠畜場があるなんて初めて知りました。芝浦屠場の描写は複数章に渡り、詳細に紹介されており、貴重なルポとなっています。
韓国の犬肉料理の描写を読んでいると、犬肉料理も食べたくなってしまうのが不思議です。モンゴルの血を一滴もたらざずに羊を捌くさまは、まさに芸術的です。インドの渾沌とした屠畜場の描写も圧巻です。日本とは比べものにならないほど肉を食すアメリカの屠畜事情も興味深々です。

さて、おいらが印象に残った描写がもう一箇所あります。
内澤さんが、狩猟に随行して狩猟の獲物として雉子と子ガモを袋に入れて渡されます。その時は”獲物”でした。ただ、上越新幹線の階段を上った瞬間にそれは”死体”と化したのです。そして、雉子と子ガモを捌くのも、庭先ではなくマンションのバスルームで捌くことになります。
このくだりを読んだ時、藤原新也氏の”東京漂流”を思い浮かべました。”東京漂流”では、インドから帰国した藤原氏の眼で東京の情景が描写されるのですが、藤原氏の眼には東京があまりにもクリーンに映ります。そこには、”死”が存在しないのです。都会では、”死”はあってはならないものなのです。
内澤さんが渡された”獲物”は、都会ではあってはならないものへと豹変したのです。内澤さんが”獲物”を運んでいるときの戸惑いが目に浮かびます。

人は肉を食しています。人は生きていくために、肉を食っているのです。これは、生物の体系上どうにもならない運命でもあります。人は肉を食らい生きているのです。
内澤さんの求めていたことは何だったのでしょうか。生きていくことと生きて行く上で必要不可欠な行為は、誰が何と言おうとも、その行為を肯定せざるをえません。
肉を食らうことは、その初めに、動物の命を奪うことが前提です。動物の命を奪いながら我々は生きていることを認識しておく必要があります。我々を生かしてくれている動物たちに、感謝の念を示すことが動物たちへの弔いになるのではないでしょうか。