サンデル教授の”Justice”

”これからの「正義」の話をしようーいまを生き延びるための哲学ー”完読。

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学

マイケル・サンデル教授のハーバード大学の人気講義を書き下ろしたものだ。とにかくこの本は売れてる。おいらが購入したのは、2010年6月10日付けの第5版である。ちなみに、初版は2010年5月25日だ。おいらが購入したときも、本は山積みになってたが、いまでも山積みだ。何版か気になって奥付を見たが、何と42版だ。そう、とにかく売れている。そのサンデル教授も遂に来日する。8月25日には東大の安田講堂でも講義するようだ。(8月26日追記:講義の模様は、iTunesでも公開される予定です。また秋に特別番組として、NHK教育テレビでも放送予定です。)
何故これほど売れているのか?
おいらが、サンデル教授の講義を知ったのは、何げなくチャンネルを切り替えた際に、NHKの放送を観たからだ。ちょっと観ただけで、ぐいぐい引き込まれた。まず、話し方がうまい。話のテンポは、噛み砕いて教えてくれるテンポである。非常に聴き易い。それと、講義の中で取り上げられる議論の中心となる話が身近かな例や、聴く側にとって悩まずにはいられない内容だからだ。それと、学生とのやり取りがいいのだ。皆でディスカッションすることを非常に大事にしている。残念ながら、出版本の中には学生との議論は収録されていない。でもご心配なく。こちらに講義の全ビデオが公開されている。本と合わせて視聴することをお勧めします。
さて売れる理由は何か?”ハーバード”というブランドからか?それもちょっとある。だだそれにしてもこれほど売れるのか?それとも、最近施行された、裁判員制度があるのか?いずれ、自分も正義の名の下に”Judge”する場面に遭遇することに備えての準備なのか?それだけではない。”Justice『正義』”というものが何であるかを知りたいという潜在的欲求が、日本にいる多くの人々の心の底にわだかまっているからなのではないか?現在は混沌とした時代だ。今がいい世の中なのか、これからは良くなっていくのか誰もが不安を抱えている。そして人間不信に陥る悲惨な事件も多い。この混沌とした世の中で、誰もが”正義”を心の底から求めているのではないでしょうか?
”正義”とな何か?
英語で”Justice”。意味は(Longmanから引用)、”the system by which people are judged in courts of law and criminals are punished"、”fairness in the way people are treated"、”quality of being right and deserving fair treatment"である。
国語辞書(大辞泉から引用)では、”人の道にかなっていて正しいこと”、”正しい解釈”、”人間の社会行動の評価基準で、その違反に対し厳格な制裁を伴う規範”とある。
なんとなく日本語の意味の方がびんときますね。
ただ、本書や講義のビデオを観る限り、おいらが理解したのは、”正義”とは、”正しい判断”、”正しいJudge”ということです。ここで難しいのが、この”正しい”ということです。”正しい”という基準は、どこにも明確に提示されていませし、”正しい”ということを何を基盤とすればいいのかも明示されていません。ここが非常に難しいところです。
本書では、この基盤を何に置くかということが語られています。”功利主義”、”自由至上主義”、”カントの考え”、”ロールズの平等主義”、”アリストテレスの考え”等、そしてサンデル教授が提唱する”共同体主義”が語られます。ただ、どれが”正しい”のかは、誰にも分かりません。それは、個人個人で考える必要があるのです。
この本は、自分で考えることを、議論することの大事さを示してくれています。という訳で、本の内容については、おいおいブログの中で、語って行きたいと思います。
おいらが、一番印象に残ったのは、謝辞の最後の箇所です。サンデル一家は議論好きで、息子さんたちと正義にまつわる議論をするのもしばしばでした。そんな中、”考えに迷うと、われわれはみなキクに頼る。彼女はわれわれの道徳的・精神的試金石であり、私の魂の伴侶だ。”とあります。”キク”とは日本人みたいな名前ですが、日本人ではありません。彼女の父親が米軍の歴史担当官で戦後日本にいたそうです。彼女は沖縄で生まれ、親日家の父親が、”キク”と名付けたそうでうす。
結局、サンデル教授もよく分からなくなたら、奥さんに訊いてみるのですね。なんとなくその光景が目に浮かびます。父親と二人の息子が議論の袋小路に陥ります。三人は、うーーん、とうなったままです。そんな時、奥さんが、ミルクのたっぷり入ったコーヒーか何かを皆に準備してあげます。そして、議論を結論へと導く何げない日常のたとえを、さらっと言うのです。家族全員が、そうだね、といって議論は終わります。”正義”って、意外と身近な日常の中に潜んでいるのかも知れません。