インターネットがわたしたちの脳にしていること

ニコラス・G・カーの新刊がでた。青土者からの出版である。

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること

原題は、”THE SHALLOWS”であるが、邦題は、”ネット・バカ”である。原題にある”shallows"とは、あまり聞き慣れない単語であるが、”浅い”とか”浅はか”、”皮相”とかいった意味で、”あまり良く考えていない”状況をさしている。邦題は、ちょっと言い過ぎかもしれませんね。副題の方が、本書の主題を端的に表しています。副題は、”インターネットがわたしたちの脳にしていること”です。さて、本書の内容ですが、インターネットに対して全般的に否定的な論調で書かれています。この辺は、いろいろと意見が分かれそうです。ただ、問題点を取り上げているので、参考になる面も多いです。
冒頭は、マクルーハンの”メディア論”を引用し、新しいメディアが人々にもたらす影響を書いています。要は、インターネットを新たなメディアと捉えているわけです。このプロローグが非常に面白い、と同時にマクルーハンのすごさ(メディアとは何かを見通す力)を感じました。
本文では、”本の誕生”、”道具と人間の関係”、”脳における記憶とネットサーフィンが脳に与える影響”が書かれていますが、残念ながら結論らしきもの(著者が強く主張するもの)は書かれていません。(注:おいらが、読み取れなかったのかもしれませんが。)それに”脱線ーこの本を書くことについて”で書かれているのは、この本の仕上げには住居をコロラドに移し、インターネット環境を遮断し、思考を集中させた書き上げたとのことです。ただ、本を書き上げたあとは、インターネット環境をまた整備し、”これは、クールだ。これなしで生きて行けるかどうか自信がない。”と本音のところを吐露しています。インターネットを否定しようとするのですが、否定しきれない”自分”がいるということです。
さてさて、本文に書かれている気になるフレーズをもとに、本書を再構築(インターネットを肯定的に再構築)してみます。(注:” ”は、本文からの引用です。)

・脳の機能について
脳は、”作動記憶から長期記憶へと情報を移し替え、概念スキーマとして組み上げる能力によって、知性の深さは決定される。だが、作動記憶から長期記憶への経路は、われわれの脳の重要な隘路にもなっている。巨大な容量をもつ長期記憶とは異なり、作動記憶はきわめて少ない情報しか保持することができない。”です。脳には作動記憶(=1次記憶)と長期記憶(=2次記憶)があり、1次記憶の情報保持容量は極めて少ない。2次記憶に移行させるためには、1次記憶に対する深い思考が必要である。2次記憶に移行させる為に、シナプシスを継続的に発火させる必要があるのです。このため、大量の情報は1次記憶から溢れてしまうので、思考することもなく、2次記憶への移行が果たせなくなるわけです。これは、インターネットに限ったわけではなく、本や雑誌が巷に溢れたときにも言われたし、TVが出現したときにも言われました。有名な言葉に、大宅壮一氏の”一億総白痴化”があります。TVばかり見ていると、人間の想像力や思考力を低下させるという主張です。要は、受動的に映像や音声をとらえているので、思考力が低下するぞ、と言っています。ここでも書物が重要であるといった論調が背景にあります。
脳の記憶に関しての、もう一つの特徴は、”生物学的メモリーは、常に更新されている。”ということです。”脳の接続は、あるメモリーへのアクセスを提供するというだけではない。さまざまな意味で、メモリーを構築しているのです。”ということです。記憶とは、独立した存在ではなく、常に更新され、おそらく他の記憶との有機的なつながりをもっているのです。

・本の意味するところ
本の意味は、”書かれた言葉を伝達させる”ことにあります。言葉をテキスト化し伝えることが重要なのです。テキスト化することによって、脳が(自分が)、そのテキストを読むことになるので、1次記憶から情報が溢れることはありません。テキストの意味を理解して読むので、その行為の中で思考が発生し、2次記憶への移行が果たせます。逆にラジオや映画、TVは言葉をテキスト化していないので、2次記憶への移行が難しくなります。ただ、反復されると2次記憶に移行します。そうです、これはCMがその手法をとっています。ただ、脳の不思議は、反復され脳の2次記憶に蓄積されたCMが、CMのみでなく、当時の思い出も想起させるとことが不思議です。
本の真価はこの言葉をテキスト化したことにあります。人間の思考内容を外部に表出させ、第三者にも理解できるようにしたことです。そして、テキストの表現は、一度書かれたら変わることがないのです。例えば、一年後に本を再読しても書かれている内容は同じです。(注:その人が感じ取る内容は異なるかもしれません。)本とは、人間の思考を外部に固定化し表現したものなのです。

・道具とは何か
”テクノロジーとは、四つのカテゴリーに分けることができる。
鋤、かがり針、戦闘機:力や器用さ、回復力を拡張する
顕微鏡、アンプ、ガイガーカウンター:感受性や感覚の範囲を広げる
貯水槽、避妊用ピル、遺伝子組み換えトウモロコシ:自然を仕立てなおす
タイプライター、そろばん、計算尺、六分儀、地球儀、本、新聞、学校、図書館、コンピュータ、インターネット:知的能力の拡張や支援”
これを簡単にまとめると、
人間の機械的動作の拡張、人間の感覚の拡張、人間の思考能力の拡張、自然の改変となります。
そして、”あらゆる道具は、可能性を開くとともに、限界をも課すものだ。使えば使うほど、われわれはその道具の形式と機能に合わせて自分を仕立て直していくことになる。”のです。道具を使うことによって、人間も道具に合わせて変わっていくのです。インターネットを利用すれば、インターネットの特質に合わせて、人間も変わっていくのです。
例えば、インターネットが脳に与える影響として、”ネットが大規模な脳の変化を引き起こしている。『脳細胞の変化と神経伝達物質の放出を誘発し、脳内の新たな神経回路を徐々に強化し、その一方で古い神経回路を弱体化する』”のです。

・インターネット時代
それでは、インターネット時代の思考方法とはいかなるものなのでしょうか?
”ウェブは、大量のテキストがラジオやTV番組のように大量に送信される。”ので、テキスト化までは本と同じなのですが、その情報量が異なります。情報量が多いので、テキスト化された情報も1次記憶から溢れてしまいます。ここが問題です。ただ残念ながら、この膨大な情報を、個人の思索とうまくマッチングさせるツールが現在ありません。インターネットが、さらに発展するためには、有効な情報の抽出と情報の再構築をサポートするツールの出現が望まれるのです。これなくしては、”グーグルは将来、一瞬の成功だったということになるかもしれない。”ということが、現実化することになります。また、”ブッシュのメメクスは、パーソナルコンピュータと、WWWのハイパーメディア・システムを予期するのだった。”のですが、ブッシュ氏(注:あの大統領のブッシュ氏ではありません。1945年にATLANTIC MAGAZINEに”As We May Think”という論文を発表したVANNEVAR BUSH氏です。)の目指したメメクスも、現時点では、道半ばなのです。
インターネットのもう一つの特徴は、”いったん情報がデジタル化されれば、メディア間の境界は消滅する。”ことです。流通する情報は、テキストであれ、画像であれ、動画であれ、音楽であれ、全て1と0の世界に変換されます。これがさらに流通する情報量を爆発的に増やしているのです。
さらに、このデジタル化が、”あらゆるメディアをソーシャルなメディアに変える傾向が、読み書きのスタイル、ひいては言語自体に、広範な影響を与えることは必然であるように思われる。これは、デジタル化された本が、カットアンドペーストでばらばらにされ、断片をリミックスされ別の本に作り変えられる。”ような状況をも生み出しています。デジタル化はコピー文化であり、ここから新たな表現形態が生まれる可能性もあります。

・インターネット時代を生きるために
さて、われわれは、このインターネットの時代をどのように生きて行けばいいのでしょうか?
端的にいうと、”知識には二種類あります。その主題を自分で知っているか、それに関する情報をどこで見つけられるかを知っているかです。”を理解している必要があるということです。今の時代の検索は、”情報をどこで見つけられるか”までであり、”主題を自分で知っているか”とは異なります。
そして、主題を見つけるためには、”効率よくデータを収集する時間も、非効率的な思索の時間も、機械を動かす時間も、楽園にぼんやり座っている時間も必要だ。”ということなのです。
なんとなく、陳腐な結論に達してしまいました。ただ、インターネットは、検索やネットサーフィンによる情報の収集やメディアが一体化したことによる流通する情報の多様化以外にも多くの可能性があります。ここでは、脳との関係(=思考との関係)に絞っていますので、ちょっと陳腐な結論に達しましたが、脳が情報に対していかように反応しているかを理解することが重要です。
また、インターネットは、外部情報(GPS等)やログ(ソーシャルなログや個人のログ)との連携により、今までにない多くのサービスを生み出しています。この辺も忘れないで欲しいところです。